田無タワー、僕と布団と時々毛布

要するに東京からお送りしています。いつでも眠い。

自由、とは

こんにちは。

今日もまた、自由と言いながらもまた雑記というべきか、本当に思ったことをたれ流していきます。

例えばですよ、Mr.childrenに「over」という曲には

<今となれば 顔の割に小さな胸や少し鼻にかかるその声も 数えあげりゃキリがないんだよ 愛してたのに 心変わりを責めても虚しくて>

というフレーズがありまして。さて皆さんはどうとらえましたでしょうか?

別れてしまった女性のことを思い出し、悲しんでるのか・・・ ほかにもいろんな解釈があると思いますが、少なくとも文字通りの意味で女性の容姿を酷評してるととらえる方は中々いらっしゃらないと思うんですよ。私の感覚ではとてもそのように聞こえません。後の歌詞を見れば文字通りにけなしてるわけではないとわかります。

しかしながらこのご時世、俗にフェミといわれる方々はおそらく今この曲を発表しようものなら桜井和寿は女性をバカにしている!!!!と騒ぐ、そんな気がするのです。

大前提として、これはあくまで楽曲の歌詞です。特定の一個人をけなしてるわけではないのです。もし歌詞や書籍でこれしきの表現が規制されたり糾弾されるというならいつから日本は言論統制が始まったんだ?なんて思ってしまいますね。

一個人的な解釈としては、お別れした女性のことのいいところも悪いところも思い出し、悪いところも含めて好きだった、ゆえに別れたことに後悔を感じまた感傷に浸ってる、そんな気がします。

想い人というのはもちろん多くの時間を共にするわけです、そうすると必ずしも良いとろろだけみるというわけにはいかないわけで、むしろ悪いところもわかっているし、悪いところも含んで好きでお付き合いするものだと思うのです。もちろん開き直ったり100%相手の好意に甘えるようでは、持続的な関係を築くことは無理があるはずです。逆に完璧を求めても息苦しいだけなのではないでしょうか?

さしずめ何が言いたいかといえば、もう少しみんな寛容になりませんか?息苦しくないですか?というお話。